私の幼少期。父が撮り母が作ってくれたアルバム
時代は昭和、高度成長期に幼少期を送った私。庶民の我が家にもカメラが普及して、父がたくさん写真を撮ってくれました。
現像した写真をアルバムにせっせと貼ってコメントを書き込んでくれたのは母です。
決して余裕のある生活をしていたわけではないのに、高価な写真をたくさん残してくれた父母はそのころ何を思っていたのでしょう。
カメラ越しに私を見ていた父の目線を、今はとても嬉しく思い、この写真を見るだけで心が温かくなります。
赤ちゃんの私を抱いた、幸せそうな若い父母の写真を見ると、何があっても大丈夫だと思えます。私を支えてくれるもの、そのものなのです。
…と今ではこう言えますが、この写真を最後に見たのはおそらく40年以上も前のことです。
実家の押入れの片すみに…
私の幼少期のアルバムは、当時流行っていた透明な粘着シートのタイプのアルバムと、布の表紙の金具で台紙を増やせるタイプのアルバムが全部で20冊ほどありました。
重さも幅も相当あるものなので、じょじょに片すみに追いやられていったのだと思います。
見つけたときは、押入れのすみっこ、布団と座布団の重なった隙間にごちゃっと押し込められていました。
どこのご家庭でもあるあるな光景だと思います。
見ないしかさばって邪魔なもの、でも捨てられないもの。
昔の写真はたいていこんな扱いを受けています。
優しい父と母の笑顔に涙溢れる!
40年ぶりに中を開いてみると、若い両親の笑顔がキラキラしていて、それだけで涙腺が崩壊してしまいます。
自分が親になって、写真に写っている両親の年齢を追い越して、やっとこのときの両親の気持ちがわかるようになったのですね。
でも思ったのは、もっと早く見ればよかった!ということです。
私はもう子育てを終えた年齢で、穏やかに日々を暮らすすべも身につけましたが、ここまでくる間には人間関係や子育て、仕事のことなどで、神経をすり減らしていた時期もあります。人生を投げ出したい、と思ったことも一度や二度ではありません。
みなさん、同じような経験をお持ちでしょう。
そんなつらかったときにこの写真を見ることができていたら、どんなに心の支えになっただろう、と思いました。
見やすい形にしたからこそ
押入れから出したそのままの形だったら、こうして見たいときにすぐに見ることは叶わなかったでしょう。
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そうだったのね!思い違いも発見、誤解が解けて一件落着
私の20冊のアルバムは、約150ページの本、3冊分になりました。
A5サイズなので本棚の収まりもよく、片手ですっと取り出せます。
この本に救われたのは私だけではありません。
自分で作ったにもかかわらず押入れのすみに押し込んだ張本人の母も、しみじみ見ては涙ぐんでいたりします。
何十年も経って冷静になって振り返って、いろいろ思い違いをしていたり誤解をしていたこともあったようですよ。ここには書きませんが。
長い年月には、悪い方に思いこんで、自分で自分を責めたり追いこんでしまっていることが少なからずあると思います。
そのころの自分を優しい眼差しで見ることができたら、わだかまりと折り合いをつけることも自然にできていきます。
たかが写真のリメイクですが、この本を作って私は私自身をもっと大事に生きよう、と思うようになりました。
ご両親が作ってくれたアルバムがあったら、ぜひ<そのまんまの本>にリメイクしましょう!
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