昭和51年に自費出版した祖父の手記
A5サイズの布張り、厚みは5ミリほどの小さな本。
母方の祖父が書いた戦後の手記です。
小学校の教員だった祖父母は、戦時中の満州で日本人学校で教鞭を執っていました。
終戦後、満州の地を追われ、何度も襲った家族離散の危機を乗り越えながらも、無事家族全員で引き揚げ船に乗り、福岡から故郷の千葉まで帰りついたそうです。
母は10歳、母の一番下の妹はまだ1歳でした。
その一部始終を祖父がまとめあげた手記「故国は緑なりき」です。
この本が完成した頃、私は小学校6年生でしたが、祖父が退職金で作ったと言っていたのを覚えています。原稿用紙に書いた原稿を活字を組んで印刷する活版印刷で刷り、100部ほどは製本したのでしょうか、当時、自費出版などぜいたくは庶民のすることではない、などと親戚中から非難されていた記憶があります。
それでも本の形に遺してくれたおかげで、孫の私がそのころの祖父の歳になっても読むことができます。
祖父は手記を書き上げて1年足らずでこの世を去ってしまいましたので、手記が残っていなければ永遠にこの話は聞けなかったのです。
大切な本なのに本棚で迷子常習犯
祖父が何としても残したかった手記ですが、本自体は小さく薄く、色も濃い緑で、とても地味なもの。本棚に入れておいても本の間にはさまって、すぐにどこかに行ってしまいます。
何年か前に偶然見つけたこの本を手に取って、これはこのまま放置してはおけないと思いました。
写真は著者近影だけで、祖父手書きの挿絵がところどころにあるだけの地味な本です。
身一つで逃げ出し、命が残っているだけで奇跡と言われた状況で、当時の様子がわかるものはこの挿絵だけだと思っていたら、偶然にも写真が残っていることがわかりました。
貴重な写真と一緒にしておきたい
祖父が満州で撮った写真が、千葉の親戚に送られていて、それが残っていたのです。
20代前半で異国に渡り、私の母と3人の妹弟たちを生み育てたたくましい祖父母の姿、命からがら逃げてきた体験、今の私たちには考えられない経験があって、その上でここに自分が存在していると思うと、この写真と文章は一緒にして長く残るものであってほしい。
後から出てきた写真と、文章を一冊にまとめるために、まず元の手記の文章をテキスト入力し、挿絵はスキャナーでデジタル化しました。古い写真もデジタル化して編集します。
読みやすい横書きにレイアウト
若い世代の親戚にも親しんでもらえるように、本は右開きの横書きの形にすることにしました。
大きめのフォントで文章を配置し、写真も途中に挟んで一冊にしていきます。
85年前の写真と47年前の手記が綺麗になって本棚に
今85歳の母の、赤ちゃんのときの写真が、この本にはおさまっています。
このときの祖父母と話をすることはできなくても、明るい笑顔の写真は、私にとってはそのまま温かいメッセージです。
本棚で迷子にするのではなく、明るい場所で見られる形にできたことで、自分の役目を少し果たせたように思います。
「祖父のからの贈りもの」は、既存のテンプレートを使って写真や文章を編集しました。
料金の目安は以下のページをご参照ください。
サービスと料金
この<祖父のからの贈りもの>はかぞくの本・Aタイプに当てはまります。
文章のテキストデータ化、写真や絵のデジタル化などや機器の貸し出し等は別途料金が発生します。